短期滞在で遊びつくすおもしろさと定住でその地を知る楽しさ、どちらがいいのだろうか?
プロフィールにも書いていますが私は父親の仕事の関係で幼少期は転勤族でした。
数年おきに北へ南へと引越しを繰り替えし、小学校は2回かわって中学生になったと思ったらまた転勤だった。
まぁ、小さい時からのことだったからそれが普通でそんなに苦ではなかった。
そのせいか自分は大人になっても数年おきに引越しを繰り返してしまっている。
定住する場所を探しながら。
そして現在はアメリカの中西部に滞在中。
気付けばもう4年以上がたつ。
旅行じゃ絶対に来ないような小さな田舎町、日本人はいない。
町のまわりはコーン畑に囲まれている。
山もなければ海もない。
もちろんビルもない。
だから空が広い。
日本国内の引っ越しでは見れなかった景色。
これに加えてコトバと文化の違い。
衝撃を受けることが多い。
あたりまえだったことがあたりまえじゃない。
何が正しいか、世界共通の基準なんてないことに気付かされる。
それはここで生活をしているから体験できることだ。
旅行で数日の滞在ではちょっと違いを感じる程度だろう。
まぁ、まず旅行ではこんな何もない田舎まちに絶対に来ることもないんですが…
ひょんなことから初めて海外旅行に出て数年後に海外で生活をしてるとは自分でも想像もしなかった。
「旅行」という気軽で簡単に体験できる非日常。
短期滞在でおいしいとこ取り。
仕事も忘れて24時間を自分の好きなように使う。
徹底的に楽しむ。
時間が限られているからちゃんと計画を立てる。
何をしたいか、いつ行くか、どこへ。
融通は利かないことも多い。
事前に調べられなかったことには気付けないし体験できない。
気付いても予定に組み込む余裕がなかったり。
あっという間の非日常体験。
ここで感じることは多い。
考えさせられて、そして。。。。
日常に無理やり戻される。
なんだか夢でも見たような感じにもなる。
そして現在の窮屈さを改めて実感することにもなったり、
反対にありがたみを感じることもあったり。
やっぱり同じ環境にいると感覚がマヒしてくる。
ないものねだりで、違う環境がうらやしましくなって不満をいう。
でも実際に何も行動はしていない。
変化を求めるのは意外と労力が必要でめんどくさいものでもある。
逆に否定したり、言い訳を探すのは簡単で正論っぽくも見える。
たまには自分をちょっと否定してみたり、他人の考えをありのままに受け入れてみることも必要かもしれない。
話は少しずれたけど、多少のお金と短い自由時間を使っておもいっきりその瞬間を楽しむ旅行とおおきなお金または大きな変化と長い時間を使ってゆっくりその場にとどまる長期滞在、どちらがいいのだろうか。
私は長期滞在がいいのではと最近こころから思う。
家族ができたからというのも1つの理由ではあるけれどそれだけではなさそう。
長期滞在で学べる、知れる、感じられることが圧倒的に内容が濃いということに気付き始めたからというのがその理由。
コトバの違いは行く前からわかるけど、文化や考え方の違いは事前情報ではわからない。
現地のひとたちと触れ合うからこそ感じれる。
お店の人と客という関係でもわからない。
何もない近所の場所から何気ない間柄でちょっとしたひとことから始まる。
尊徳感情もない、ひょんなできごとから始まるのが自然でありままの環境。
それが本当の現地であってリアルでもある。
観光としての評価と本当のその場所の居心地は違うだろう。
何を求めるかで変わってくるだろうけど、個人的にはその場のリアルを感じたいと思う欲求そしておもしろさの方が上なので私は長期滞在派です。
そして長距離移動が苦手というのも1つの理由であることを付け加えておきます。
というわけで、今後のプランも少し変更が必要そうです。