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江戸庶民の実際の生活スタイル

2016/12/30

 

江戸時代は、わずか150年ほど前のことですが、時代劇などもでお馴染みとなり、日本の歴史の中でもある意味一番親しみを感じやすい時代であるかもしれません。

今回は、時代劇などからは見ることができない実際の江戸時代の庶民の暮らしぶりをご紹介します。

 

 ☑ 武家の女性はお洒落が必修!

江戸時代の武士の中でも、下級武士もいて、彼らの生活レベルは町人とほぼ同等か、場合によってはそれよりも低いということもありました。

しかし、身分とプライドだけは上であった為、武士の妻たちも気位を高く持っており、 例え貧しい下級武士の妻であっても、だらしない服装はできませんでした。

暑い夏以外の季節は、小袖と呼ばれる着物の上に「打掛」(うちかけ)という着物を重ね着するのがオーソドックスなスタイルで、髪はクシできちんと整え飾りにし、扇を手にするのが決まりです。また、武家のたしなみとして小刀を帯に挟んでいました。

一方、町人の妻たちは、丸髷(まるまげ)という髪型に着物を着て、着物の汚れを防ぐ為にエプロンをするのが一般的でした。お金のない町人が古着屋で買った着物を大切に着続けるために前掛けは必需品でした。

これら着物や髪型は、年齢や身分に合わせて決まっていたので、その服装を見ればどんな家の人なのかは一目瞭然でした。

また、おしゃれとして「羽織」を上に着るのが粋(いき)でした。江戸時代には、羽織の流行はしばしば変わり、裾や袖が長いものや短いものなどの違いにより、様々な流行がありました。

 

☑ 武士の仕事は「役所勤め」

実際、江戸時代には戦争もほとんどなく、ほとんどの武士は戦うことなどなく、日々の仕事は書類作成や申請書にハンコを押す等、現代でいう「役所勤め」です。

お城に勤めにいく際は、着物の上に裾のかなり長い袴を着ていた為、歩きづらいものでしたが、それが礼装でした。

また、髪型は、不精ヒゲのようにちょんまげのまわりに短い毛が生えていては「恥」とされていた為、常に頭を剃っていました。

 

☑ 家は6畳、生活スペースは4畳半!

江戸時代の長屋の広さは、間口が9尺(2.7m)で奥行きが2間(1.8メートル)というのが一般的な大きさで、土間や台所なども含めた全体は6畳相当でした。

押し入れなどの収納スペースなどもまったくなく、居間兼寝室となる部分は4畳半ほどで、昼間はこのスペースを居間として使い、そこで内職や食事などをし、夜になると、布団を敷いて寝室に早変わりさせます。

この広さで、4人家族が住むことも珍しくありませんでした。

 

☑ 出産方法

現在では横になって出産するのが一般的ですが、江戸時代の出産は座ったままで行われ、体内から排出された胎盤などは、土に埋めるのが一般的でした。それは父親の役割で、トイレの前や産室の床下などに穴を掘って埋めていました。

胎盤が埋められた場所は、最初にまたいだ人のことを赤ん坊が嫌う、という迷信があって、大人はまたがないように気をつけたそうです。

また、へその緒は大病を患った際に煎じて飲むと効果があるという俗説もあり、大切に保管されました。

尚、江戸時代頃は乳幼児の死亡率が極めて高く、「7つまでは神の子」とも言われ、親はいつでも子どもを亡くす覚悟を持っていました。

「人生50年」と言われた江戸時代ですが、それは乳幼児の死亡率が高かったことによるもので、仮に現代と同じ乳幼児死亡率であれば、江戸時代の平均寿命はずっと長くなっていたはずです。

 

☑ 虫歯になったら?

現代の歯の治療は、悪い部分を削る装置がとられますが、江戸時代には「患部を削る」という発想はなく、どうしようもないほど痛むのを治すためには、歯を抜くしかありませんでした。

しかし、麻酔などなく、激しい痛みを伴うため、お酒で感覚を鈍くさせた上で抜くこともあったようです。

また、歯科医師とは異なり、入れ歯師という職業もあり、もともとは木の仏像彫り師などが始めたと言われていますが、江戸時代になって仏像彫刻の仕事が減り、歯を彫る仕事を請け負うようになったようです。

因みに、材料は木ですが、歯ぐきの形に合わせて精巧に作られ、金属のバネを入れて隣の歯に引っかけて使う、現代のような方法もすでに発案されています。

 

☑ 米ぬかが石鹸代わり!

石鹸は16世紀に日本に輸入されましたが、一般庶民が石鹸を使うようになったのは明治になってからです。

しかし、石鹸は超高級品で、一般庶民が使うことは出来ず、銭湯で体を洗うために使ったのは、お米を精米したときに出来る「米ぬか」でした。

自前の米ぬかを袋に入れてもっていくか、袋だけを持って行って銭湯の番台で米ぬかを買っていました。米ぬかは、体の汚れが落ちるだけではなく、肌をしっとりとさせる効果もあったようですが、現代でも米ぬかの洗顔商品などが流行しているのは、そのような効果があるからのようです。

銭湯では使い終わった米ぬかが大量に集まることになりますが、実は江戸時代には、これらの銭湯から出る米ぬかを買い取る商人がいました。その米ぬかを農家が買いとり、畑の肥料にしていたのです。

尚、洗濯には、カマドから出る灰や豆腐を作るときに出る豆腐湯というものが洗剤の代わりに利用されてました。

 

 

☑ まとめ

江戸時代は、お風呂や医療に関する習慣として、今の時代からは考えられないような形式のものも多くありました。

しかし、流行に気を使う女性のココロや米ぬか製品など、今も昔も変わらない点は以外に多いものです。

また、米ぬかでさえも最後の最後まで有効活用されていたように、江戸時代は究極のリサイクル社会とも言われます。

何か新しい発想が欲しいようなときには、江戸時代の生活を見直してみると、何かヒントが得られるかもしれませんね。

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